かつて経験したことのない
萩にとってこの夏は特別なものとなりました。
3か月前のこととなってしまいましたが、
山口・島根豪雨災害が発生しました。
萩市では須佐・田万川・むつみの各地に甚大な被害があったことは、
報道でみなさんご存じのことと思います。
私が復旧に関わった須佐では、大きな被害がありました。
須佐の町は関ヶ原の戦いで敗れ萩に移封された毛利に従い、
この地に移った重臣である益田家によって治められました。
益田家は萩藩の永代家老として藩政を支え、萩城三の丸(堀内)にも
屋敷(約12,000石)を拝領していましたが、この須佐の地にも居館を構えました。
この居館を中心に町人地と武家地が配され、いわばプチ城下町のような町をつくっていました。このため、この地域一帯の町並みは茶褐色の石州赤瓦葺の屋根なのに、
この須佐だけは、萩城下町と同じ黒いいぶし瓦で屋根が葺かれています。
そんな、美しい町並みも大きな被害を受けました。
かつての町人地である須佐本町は鴨居のあたりまで冠水しました。
武家地のあたりはそこまで水位は上がらなかったようですが、
これまで大事にされたきた土塀が溶けて崩壊してしまいました。
これらの被害をきっかけにこれまで住まわれてきた多くの民家が解体されることになりそうです。
焼き物で有名な近くの須佐唐津の集落では、
山からの土砂が押しよせ多くの民家が全壊しました。
ある一日というか、ほんの3時間ほどの集中豪雨でこんなことになってしまいました。通常の土砂降りが50mmほど、80mmになると前が見えず、バケツをひっくり返したような状況と言いますが、今回の大雨は、これをはるかに超えるものだったと聞きます。気象庁はこの雨を「これまに経験のしたことのない」という言葉で表現しました。
今年の萩は、全般にも亜熱帯のような気候でした。
こんな気候が続いたら、植生や町の形も変わってしまいます。
地域に根差して生き続けた民家の危機が、こんな方からも押し寄せているとは・・・。
いずれにしても、特別な夏でした。
_yo_